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3.ジーナも谷へ連れて行かれる

不意にそこへ、一台のオープンカーがやってきた。その中には、背が高くスマートな、大変エレガントな士官が、手に乗馬鞭をもって坐っている。どうやらかれが、ここの指揮官らしい。そのとなりには、通訳がのっている。
「あいつらは、なんだ?」と、その士官は、丘の方を指さしながら、通訳をとおして警官に、たずねた。そこにはすでに、五十人あまりの人びとが坐っていた。
「あれは、こちらの人間です」と、警官は答えた。
「かれらを釈放していいかどうかと、思いまして」
とたんに、その士官は、どなりはじめた。
「すぐに銃殺しろ! もし、ひとりでもここから出て、市中でこの話をしたら、明日からひとりのユダヤ人もこなくなるぞ」
通訳は、かしこまって、それを警官に伝える。丘の上の人たちは、坐ったまま、その話にきき入っていた。
「さ、こっちへこい! 走れ! 立ちあがれ」と、警官たちが、口々に叫びだす。
人びとは、ふらふらと立ちあがる。もう、時間がおそくなっていた。おそらく、そのせいだろう、この一群は服をぬがされずに、きたままで障壁の入口につれていかれた。
ジーナは、たしか、十人ずつに分けられた二番目の組に入った。掘りぬいた通路を通っていくと、砂の採取揚がぱっと現われた。そして、ほとんど垂直な砂の壁がある。もう、うす暗かった。ジーナは、この砂の採取場を、はっきり見定めることができなかった。みんな一列に並ばされ、速く速くとせきたてられ、左手に曲がり、ひどくせまい土手ふちを歩かされた。
左側は、砂の壁。右側は、大きな穴である。この細道こそは、特に銃殺の目的でこしらえられたに相違なかった。だから、その道はひどくせまく、そこを歩いていく人びとは、穴に落ちまいとして本能的に砂の壁に身をおしつけるようになる。
ジーナは、下をちょっと見たが、頭がくらくらしてきた。おそろしく高く思えたからである。その下は、血みどろの死体の海だ。目をこらしてみると、この採取場の反対側には、軽機関銃が何挺かすえつけてあり、そこには数人のドイツ兵がいるではないか。かれらは、たき火をし、どうやらその上でなにかを煮ているらしかった。
人びとの列が、すっかり土手道に追いあげられてしまうと、ひとりのドイツ兵が、たき火からはなれ、機関銃にとりついた。そして、射ちだした。
土手道から人びとのからだがころげ落ち、機銃の火線が、自分に近づいてくるのを、ジーナは見たというより、むしろ感じとった。『今度はわたしだ……今度こそ……』という思いが、ジーナの頭にひらめいた。ついに彼女は待ちきれずに、両手をにぎりしめて、下にとびおりてしまった。
ジーナは、自分がひどく長いあいだとんでいるように感じた。おそらく、実際に高かったのだろう。落ちた瞬間にジーナは、なんの衝撃も痛みも感じなかった。最初にジーナは、なまあたたかい血をあびた。顔にも血が流れた。それはまるで、血の風呂の中に落ちこんだようだった。彼女は、両腕をなげだし、目をつむって横たわっていた。
なにやら、からだの内部からこみあげる声、唸り、しゃっくり、泣き声が、まわりからも、そしてジーナのからだの下からも、きこえてくる。死にきれない人たちが、大勢いるのだ。この人体の堆積全体が、そこここでかすかに動めきながら、しだいに沈下していく。生きたまま下にとざされた人たちが動くので、すき間がうめられていくのだ。
ドイツ兵たちが、土手道に出てきてヽ懐中電灯で下をてらしはじめた。そして、生きていると思われる人たちを、ピストルで射つ。しかし、ジーナからほど遠からぬところで、依然としてひどい唸り声をあげている人がいた。
ジーナのすぐそばで、今度は死体をふみつけて歩きまわっている足音が、きこえてきた。ドイツ兵たちがおりてきて、身をかがめ、死人からなにかをとりあげている。そして、動めく人たちを、つぎつぎと射殺していく。
ジーナの身分証明をあらため、ハンドバッグをとりあげた警官も、その中にまじって歩きまわっている。彼女は、声でその警官だと分かった。
ひとりのエスエス隊員(ナチス親衛隊員)が、ジーナをぐっと見すえた。生きているのではないかと、疑いを抱いたのだ。かれは、懐中電灯でてらし、ジーナのからだを起こして、なぐりはじめた。しかし、彼女は、ぐったりとしたままで、生きているらしい反応を示さなかった。エスエスは、長靴で彼女の胸をぐいとつき、くだけんばかりの勢いで右腕にのった。しかし、一発も射たずに、そのままいってしまった。
数分たってから、上の方で声がきこえる。
「おい、こっちへ投げてくれ!」
シャベルのがちゃがちゃいう音。砂が人体にあたってにぶい音をたてるのがきこえてくる。だんだん近づいてくる。ついに、砂のかたまりが、ジーナの上にも落ちてきはじめた。
ジーナは、しだいにうずめられていく。しかし、口に砂がふりかかってくるまでは、びくりともせずにいた。彼女は、仰向けにねていたので、砂をのみこんでしまい、息がつまってしまった。こうなるともう、なにを考える余裕もなくなり、たまらない恐怖におそわれて身をもがきはじめた。生きながらうすめられるくらいなら、銃殺された方がまだましだ、という気になったのである。
無傷の左手をつかって、ジーナは、自分のからだのまわりから砂をかきのけた。そして、はあはあと息をつくと、もう少しでせきこみそうになった。彼女は、最後の力で、このせきをのみこんだ。だんだん、からだが楽になってきた。やっとのことでジーナは、土の下から這い出たのである。
上では作業が終わっていた。きっと、いくらか砂を投げかけただけで、立ち去ったのだろう。ジーナの目は、砂でいっぱいだった。あたりは真暗だし、心はずっしりと重い……
ジーナは、いちばん近くの砂の壁に目ぼしをつけた。そして、長い時間をかけて用心ぶかくその壁にたどりつき、やがて立ちあがると、その壁に左手で小さなくぼみをこしらえた。こうして彼女は、からだを壁におしつけたまま、つぎつぎとくぼみをこしらえ、一秒ごとにころげ落ちるのではないかという危険をおかしつつ、わずかずつ上にあがっていった。
上は茂みになっていた。ジーナは、指で茂みをまさぐると、必死の思いでそれにつかまった。そして、壁のふちをのりこえようとしたとたん、低い声がきこえた。彼女は思わず、うしろへとびのくところだった。
「おばさん! こわがらないで。ぼくも生きてるんだよ」
それは、袖なしシャツをまといパンツをはいた男の子だ。その子も、彼女のようにして、よじのぼってきたのである。男の子はふるえていた。
「静かに!」と、彼女はその子を制した。「わたしのあとに、ついておいで」
ふたりは、だまって音をたてないようにしながら、いずこかに向かって這っていった。

         

このテーマの項目一覧

1.バービィ・ヤールに向かう行列

2.殺戮直前の様子

3.ジーナも谷へ連れて行かれる

4.バービィ・ヤールからの逃亡