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1.バービィ・ヤールに向かう行列

彼女はビラを読みにいった。すばやく読んでたち去った。だいたい、命令をかいたビラのところで、いつまでもぐずぐずしているものはなかったし、話し合う声も起こらなかった。
昼も夜も一日じゅう、いたるところで議論や提案に花が咲いた。彼女の両親はふたりとも、もうよぼよぼだった。母親の方は、ドイツ軍が進駐してくる前に、手術をうけて病院を出てきたばかり。みんながまず考えたのは、その母親が果たして出かけられるか、どうか? ということだった。老人はふたりとも、ルキヤーノフカでみんな汽車にのせられ、ソヴェト領に送りこまれるものと、思いこんでいた。
ジーナの夫はロシア人で、彼女の苗字もロシア風だし、その上、容貌も、とてもユダヤ人とは思えなかった。ああだこうだといい合ったり、予想をたてたり、考えたり、しまいにやっと、こんな工合に衆議一決した。
老人たちふたりが出かける。ジーナは、そのふたりを見送りにいき、汽車にのせたら、自分は子どもだちといっしょに、キーエフに残る。あとはまあ、なるようになるだろう、と。
父親はガラス工で、母親といっしょにツルゲーネフ街二七番に住んでいた。ジーナや子どもたちは、ヴォローフスキイ街四一番にいた。
ジーナは、夜おそく家に帰り、眠ろうとはしたものの、その夜にかぎってどうしても眠れない。おもてではいつまでも、人びとがばたばたと走りまわっていた。この建物に住んでいる娘が、逮捕されようとしているのだ。その娘は、屋根裏にのがれ、やがて非常梯子をつたっておりてきた。男の声が口々に叫んでいる。『いたぞ!』
ことの起こりは、ドイツ軍が進駐してくる前に、この娘が、こういうことをいったのである。
「ドイツ軍なんか侵入してきたって、なんにもならないわ。もしきたら、わたし、この家にケロシンをかけて火をつけてやるから」
さていまになって、管理人の奥さんがこのことばを思いだし、娘がほんとうに放火をすまいかとこわくなって、ドイツ軍に申したてた。すると、ちょうど今夜、彼女の逮捕がはじまったわけだ。
不安と緊張につつまれた不気味な一夜だった。ジーナは、からだじゅうがふるえた。彼女には、例の娘が逮捕されたかどうか、まるで分からなかった。
夜が明けてくると、ジーナは顔を洗い髪をとかし、身分証明書をもち、ツルゲーネフ街の老人たちのところへいった。それは、すぐ近所だった。大通りには、いつになくたくさんの人たちがいる。だれもかれもが、荷物をかついでいかにも用事ありげに、いずこかへ急いでいる。
両親のところへいったのは、朝の六時すぎだった。建物じゅうの人たちが、おきていた。出立する人びとは、となり近所の人たちと別かれ、手紙をかく約束をし、アパートのことや家財のこと、鍵のことなどを、みんなにたのんだ。
老人たちは、あまりたくさんのものをもってはいけない。貴重品といっても、べつにないし、ただ、必需品と食禄だけをもった。ジーナは、背中にリュックサックをかつぎ、三人そろって、七時すぎに出発した。
ツルゲーネフ街を、たくさんの人が通っていた。しかし、アルチョム街に出ると、もうまったくの混乱状態だった。包みをもち四輪馬車にのった人たち。さまざまな、二輪の荷車や荷馬車。どうかするとトラックまでまじっている。それがみんなストップして、やがて、ほんの少し動いたかと思うと、またしてもストップだ。
声高な話し声、群集のどよめき。まるでデモンストレーションみたいに、通りという通りがすっかり人びとでふさがれている。ただし、旗や楽隊や祝典がない。
トラックが出てきたというのは、まったくふしぎだ。どっから、ひっぱってきたんだろ?
家じゅうの家具をつみあげ、荷物を運ぶ車をやとってきたというわけだ。そうしてから人びとは、荷馬車やトラックの横っ腹にしがみつく。ふろしき包みやトランクのあいだに、病人たちが横たわり、子どもたちが、ひとかたまりになっている。ときおり、乳のみ子を二人、三人と、一台の馬車にのせていくのもある。
見送り人も、とても多かった。となり近所の人たち、友だち、親戚。ロシア人にウクライナ人。みんな、荷物を運ぶのを手つだったり、病人の手をひいたり、中には病人をおぶってやっている人もいた。

この行列全体が、ひどくゆっくりと動いていた。それに、アルチョム街はとても長い。ある家の門のそばで、ドイツ兵たちが立って、見物している。かれらは、身ぶりで、床を洗うのに人手がいるんだというまねをして、ジーナを呼びつけようとした。
「コム・ワッシェン(洗いにこい)」
ジーナは、断固それをことわった。このどよめく行進、混乱と話し声と子どもの泣き声をまじえた『デモンストレーション』は、いつまでも、ぼーっとしてくるほど長くつづいた。ジーナは、毛皮のシューバをきていたので、むし暑くなってきた。
途中で昼食をすましたあと、やっとのことで墓地までたどりついた。彼女はいつまでも憶えている。右手に、ユダヤ人墓地の長い煉瓦壁がつづき、その門が見える。そこで通りを横切って鉄条網がはられ、対戦車壁が立てられて、そのまん中だけが通路になっている。そして、胸に認識票をつけたドイツ兵の哨戒線がはられ、灰色のカフスのついた黒い制服をきこんで、ウクライナ人警官も、まじっていた。
刺繍模様のシャツをきたおそろしく背の高い、活発な下役人が、コサック風のひげをたらして、入口のそばで指図している。とても目だつ存在だ。人びとの群れは、その下役人のそばを通って、対戦車壁のあいだの通路に殺到していくが、そこからもどってくるものは、だれもいない。ただ、ときおり、からの荷馬車をひいた御者が、わめきながら通りすぎる。かれらは、通路の向こうがわのどこかで荷物をおろし、今度は群集にさからって、おし分けたり、どなったり、鞭をふりまわしたりしていく。そのために、あちこちでおし合いやののしり合いが、生じる。
まったく、なにがなんだかさっぱり分からない。ジーナは、墓地の門のそばに両親を待たせておいて、いったいこの先がどうなっているのか、自分でたしかめに出かけた。
それまでは彼女も、ほかの多くの人びとと同様に、この先には列車が待っているものと、考えていた。どこか近くで射撃の音がきこえ、空には飛行機が一台、低くとびまわっている。あたり一帯が、不安な危機感をはらんでいた。
人群の中で、こんな会話の断片が、きこえる。
「また戦争をやってるな! おれたちを、もっと安全な遠いところへ、つれてってくれるんだろう」
「それにしても、どうしてユダヤ人だけなんだろうね?」
どこかのもうろく婆さんが、まるっきりばかげたことを、いいはじめた。
「そりゃ、ユダヤ民族はドイツ人と親類だからね。それで、第一番に送りだすことにしたのさ」
ジーナは、しだいに高まる不安を感じながら、懸命に群集をおし分けおし分けしていった。そして、はっと気づいてみると、前方にみんなの荷物が山づみになっている。さまざまの入れもの、ふろしきやトランクは、左側につみあげられ、中味は全部、右側である。そこで、ドイツ兵たちが、みんなを小人数に区切って、先に行かせている。ひとグループを行かせると、しばらく待ち、いくらか合い間をおいては、また通してやる。人数をかぞえては、はい、ストップ! という工合だ。どうやら、二、三十人ずつの列にならばせては、行かせているらしい。またしても、騒音やどよめきの中で、いろいろな話がはじまる。
「ああ、もちろん、荷物は全部、貨物で送られるのさ。向こうへついたら、すぐにえり分けりやいいさ」
「どうやって、えり分けるんだよ、あんなにたくさんの荷物を。みんないっしょくたにして、同じ量の荷物にするだけなんだよ」
ジーナは、気味悪くなってきた。鉄道の駅らしきものは、ひとつもない。このときはまだ、いったいなにがあるのか分からなかったが、とにかく汽車で移送されるのでないことだけは、はっきりと感じとった。なんにせよ、移送ではない。
とりわけおかしいのは、近くできこえる機関銃の断続音だ。そのときはまだ彼女も、それが人を殺しているのだとは、思いたくもなかった。第一、こんなに大勢の人を! そんなことって、あるわけがない。それに、いったいなんのために?!

         

このテーマの項目一覧

1.バービィ・ヤールに向かう行列

2.殺戮直前の様子

3.ジーナも谷へ連れて行かれる

4.バービィ・ヤールからの逃亡