ホロシュノヴァの日記から
以前何某かの二流ホテルがあったクレシャーチク30番地に、軍司令部が置かれた。クレシャーチクとプロレーズナヤが交差するその向かい側で、「子供の世界」があったところには、憲兵隊司令部が配置された。軍司令部には、諸機関のすべての管理職が登録のために訪れることになっていた。軍司令官の下へは様々な所用で人の足が絶えなかった。そこへはドイツ製の車がひっきりなしに乗りつけ、ドイツ人衛兵が立っており、歩道には見物人が立っていた。軍司令部へは無線受信機が運び込まれていた。クレシャーチクのプロレーズナヤ通りの反対側には、防毒マスクがそのまま脱ぎ捨てられていた…。
(略)
24日、ニューシャと一緒にリヴォフスカヤ通りを歩いていると、立て続けに数発の爆発音が聞こえた。クレシャーチクの方から煙の黒い柱が立ち上った。誰もまだ爆発のことについては知らなかった…。が、実際に憲兵隊司令部と、それに続いて軍司令部も爆破されたということが分かった。多くの人々が犠牲になり、火災が巻き起こった。町全体に不安が立ちこめた。夕方にかけて火は勢いを強めた。18日から19日にかけての夜と同じような赤い照り返しが、再び町を覆った。そしてまた、町全体に地雷がしかけられているという噂が駆けめぐった。人々は荷物を抱え、四方八方に駆けてゆく。火の手の上がったクレシャーチクからは皆が立ち退いてゆく。その方向からはひっきりなしに爆発音が響いていた…。人々は爆発の原因をつきとめようとしていた。町はうわさ話であふれていた。何某かのユダヤ人が、ダイナマイトを仕込んだ無線受信機を憲兵隊司令部に持ち込み、それが爆発した時に、もともと建物に仕掛けられていた地雷も爆発したのだとか。誰にも確かなことは分からなかった。ドイツ軍がわざと町を焼き、自分たちも去ろうとしている、という者もいた。また反対に、ドイツ軍は火災を止めようとしているが、陰でパルチザンらがそれを邪魔しているようだ、と言っている者もいた。いずれにせよ、町には水がないので火災を止めることはできなかった。