クレシャーチクを通って帰宅途中、プロレーズナヤの向かいを通っていた時、すさまじい爆発音が聞こえた。戦争が始まった時、無線受信機の引き渡し命令が出たので、人々は、クレシャーチクとプロレーズナヤが交差するところにある倉庫へとそれを持って行った。受信機は占領中もそこに置かれたままであった。まさしくその建物で大きな爆発が起こったのだ。そしてその後すぐに隣接する建物でも爆発が起こった。
(Всеволод Александрович Войтенко フセヴォロド・アレクサンドロヴィチ・ヴォイテンコ。当時17歳。両親、2人の兄弟とともに首都に在住)